山手線(やまのてせん)を、まず把握

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東京の地理でまず押さえておかないといけないのは、山手線(やまのてせん)だろう。

 

「やまてせん」と呼んでいた時代もあるが、正式名称は「やまのて・せん」だ。

 

どちらもよく耳にするので、関西人にはちょっと混乱するが、「やまのてせん」と言っておいた方が無難だろう。

 

というのも横浜にも「山手(やまて)」という観光スポットがあるからだ。

 

横浜山手は、明治維新の時に外国人居留地となった場所で、関西で言えば神戸の北野みたいなところだ。

 

因みに横浜の山手をハッキリ言う場合は、「やまて」か「横浜の山手」かな?

 

「横浜山手」という言い方は、滅多にしないようだ。

 

さて山手線は、東京23区の中心部をぐるっと一周する環状鉄道で、関西で言えばJR大阪環状線にあたる。

 

大阪の環状線と比べると一回り大きくて、駅も10駅ほど多いし、一周する時間も20分多くかかる。

 

大阪環状線は一周40分だけれど、山手線は一周60分だ。

 

そして意外なことに、山手線は、あまり円を描いて走っていない。

 

上の図のような「みの虫」みたいな走り方をしている。

 

大阪環状線の線路は、わりあいと丸く走っているのだが、山手線はこういう不思議な形だ。

 

これは山手線が元々、環状線として計画されていなかったせいだ。


山手線は、あまりきれいな円を描いて走っていない。

 

図のような「みの虫がぶら下がった」みたいな走り方をしている。

 

大阪環状線の線路は、わりあいと丸く走っているのだが、山手線はこういう不思議な形だ。

 

これは山手線が元々、環状線として計画されていなかったせいだ。

 

山手線は元々、東海道本線の品川駅と、東北本線の赤羽駅を結ぶために敷かれた線路で、簡単に言うと山の中を走る貨物路線だった。

 

東北本線は、国有化される以前は日本鉄道(にっぽんてつどう)という私鉄だった。

 

日本鉄道は品川や横浜まで線路を延ばしたかったのだが、上野から先が伸ばせなかった。

 

というのも上野辺りは江戸時代から栄えている場所で、住人が多くて、用地買収が難しかったのだ。

 

しかし埼玉や東北から、品川や横浜港に材木や砂利を運ぶ鉄道も必要だった。

 

そのため、あまり人が住んでいなかった、西側の「山の手」に線路を敷いたのが「品川線」で、これが山手線の始まりだ。

 

日本鉄道品川線は、山中に鉄道を敷いたので、駅を作っても利用客は少なく、旅客列車は4往復くらいだったらしい。

 

今や日本有数の繁華街となった渋谷や池袋も、明治初期には閑散とした土地で、池袋には駅すら作られなかったという。

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