日本橋(にほんばし)
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日本橋(にほんばし)も、たまに耳にする地名だ。
東海道などの街道の起点となる場所で、江戸幕府が整備した五街道の起点だ。
現在も国道1号線(東海道)、4号(日光街道)、6号(水戸街道)、14号、15号、17号(中山道)、20号(甲州街道)の起点は、日本橋の橋の真ん中と定められている。
因みに、大阪市内にも「日本橋」という地名はあるが、読み方が違って「にっぽんばし」と読む。
大阪の日本橋のあたりは「でんでんたうん」(秋葉原のような電気屋街)と呼ばれていて、メイド喫茶などもある。
東京の日本橋も、大阪の日本橋も、どちらも江戸時代に造られた橋で、どちらも江戸幕府が管理する橋だった。
因みに、先に造られたのは東京の日本橋で、こちらが本家と言うことになるだろう。
さて、その本家の大江戸の日本橋だが、どこにあるかというと、東京駅のすぐ近くにある。
因みに日本橋が架かっている川は、神田川の支流の「日本橋川」だ。
日本橋(にほんばし) 広域地図
日本橋が江戸時代の道の起点だったから、東京駅もここに造ったのかという事かと思ったりもするが、そうではないらしい。
東京駅が完成したのは、1914年の12月だが、これは既にできていた東海道線(新橋-神戸)と東北本線(上野-)の間をつなぐ路線の駅としてであった。
東京駅は実は皇居の正門前で、陸軍の練兵場(れんぺいじょう)跡に造られたのだという。
日本橋(にほんばし) 周辺地図
日本橋は江戸時代、魚河岸として賑わった。
徳川家康が江戸の地を開拓し始めた頃、摂津国佃村(せつのくに・つくだむら)から、たくさんの漁師達を呼び寄せた。
摂津国というのは大阪北部から兵庫県南部の旧国名で、佃村は今の住所で言うと、大阪市西淀川区あたりらしい。
この漁師達の江戸の拠点が今の佃島で、漁師達は魚を獲ったり干物や佃煮を作っては、江戸城に献上していた。
ただ、呼び寄せた漁師達の能力は高くて、山ほど魚が捕れたので、幕府の許可を得て日本橋の周辺で商売を始めた。
これが「日本橋魚市場」の発祥で、大正時代まで日本橋に魚市場があった。
残念ながら関東大震災で日本橋魚市場は閉鎖され、築地(つきじ)に移転した。
現在は、日本橋北詰あたりに、日本橋魚市場の記念碑が建っているだけだが、江戸時代初期から大正時代まで、日本橋魚河岸は、ホントに栄えていたらしい。
関西人の私には、日本橋に魚市場のイメージなどなかったので、ちょっとビックリしたね。