環七(かんなな)、環八(かんぱち)
更新日:
東京に出てくると、よく耳にするのが、環七(かんなな)とか環八(かんぱち)という言葉だ。
この環七とか環八というのは、一体どういう道路なのか?
高速道路なのか、有料道路なのか。
国道なのか、都道府県道なのか。
また「七」とか「八」とかついてるけど、環一とか環二というのはないのか?
いろんな疑問が湧いてくる。
実はこの環七とか環八というのは、東京都の道路で、つまり「都道(とどう)」だ。
東京や関東の道路は、大きく分けて環状道路と放射道路の2種類があって、環七や環八は、環状道路に分類される道路だ。
環状道路というのは、旧江戸城(皇居)を中心にぐるっと回る路線で、環状道路には「都道環状●●号線」という名前が付いている。
因みに放射道路は、江戸城から四方八方に伸びている道路で、「●●街道」(かいどう)と呼ぶことが多い。
環七は東京都道318号環状七号線、環八は東京都道311号環状八号線になる。
環一から環六も全部あって、次のようになっている。
- 環一(内堀通り)
- 環二(外堀通り)
- 環三(外苑東通り・目白通りなど)
- 環四(外苑西通りなど)
- 環五(明治通りなど)
- 環六(山手通り)
環一が皇居に一番近い環状線で、そこから数が増えるごとに外回りになっている。
ただし環六までは、環××と呼ばれることはあまりない。
というのも環六までは、環状線という名前が付く前から存在していた道路だからだ。
環七と環八だけが有名な理由
都道環状線は、大正12年(1923)に起こった関東大震災の復興計画で立案されたものだという。
皇居を同心円の中心におき、その周りを環状に走る道路を8本造るという計画だった。
ただ6号線までは既存の道路をつなぎ合わせて、環状にする予定だったらしい。
ところが太平洋戦争が始まって、道路を造るのが後回しになり、戦後70年たってもまだ未開通部分がかなり多い。
環状一号線の「内堀通り」は環状になっているが、これは元々環状になっていたのを指定して整備したのだという。
なので未だ環状になってないし、既存の道路の名前の方が有名なので、環状××号線とは呼ばないらしい。
しかし七号線と八号線は、新たに造られた道路であり、通りの名前が元々無かったため、環七通りとか、環八通りという名前になった。
そのため、六号線までの道路とは違って、環七とか環八と呼ばれているらしい。
都道環状道路の地図を造ってみたが、まともに一周できるのは、一番内側の2本の道路(内堀通り、外堀通り)だけだ。