東京には、なぜ環状線がたくさんある?

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大阪や京都、神戸などの街の中心部は、東西に走る道と、南北に走る道で、碁盤の目のようになっている。

 

これは中国の古い都もそうだし、ニューヨークなども同様だ。

 

しかし東京の中心部の道というのは、碁盤の目のようにはなっていない。

 

ロンドンやパリ、ベルリンのように、環状線と放射線の2種類で構成されている。

 

環状線は、皇居(旧江戸城)を中心に、同心円を描くように走っている道路で、放射線は東京の外部に向かって伸びている道路だ。

 

ただしロンドンやパリ、ベルリンのように、片道4車線以上の道路は殆ど無く、そのため、常に渋滞している。

 

東京の道路がなぜ、大阪や京都のような碁盤の目ではなく、環状道路と放射道路の組み合わせになっているのかは、かなり疑問だ。

 

恐らく、江戸幕府を築いた徳川家康が、城の守りを重視して江戸の街を造ったと言うことなんだろう。

 

因みにロンドンやパリ、ベルリンと言った街に環状道路があるのは、元々街を護るための城壁だった部分を道路にしたからだ。

 

ヨーロッパの街は、街が大きくなるにつれて、外側に新しい城壁を築き、古い城壁の跡地を道路にした。

 

城壁というのは石積みで、幅も広かったため、広い道路が簡単にできた。

 

そしてそれを2回か3回繰り返し、最も外側の城壁も道路にしたため、ヨーロッパの大都市は、広い環状道路を都市の外周に2~3本持っているわけだ。


まともな道路政策がなかった東京

パリやロンドン、ベルリンと言った都市には、広い環状道路がいくつもある。

 

ヨーロッパの都市は、多くの都市が都市を護る城壁を持っていた。

 

そして都市が成長するにつれて、一回り外側に城壁を築き、古い城壁は壊した。

 

古い城壁の材料は新しい城壁の補強材になり、城壁の跡地は道路になった。

 

そのため、都市が成長するにつれて、新しく環状道路ができたし、都市防衛に城壁が役に立たなくなった20世紀には、一番外側の城壁も取り壊されて環状道路になった。

 

つまりヨーロッパの環状道路というのは、都市の外周に沿って走っていて、旧市街地と新市街地の境界線を走っているわけだ。

 

だから、旧市街地に用がない車は、8車線もある環状線を走り、旧市街地には入らない構造になっている。

 

一方、江戸の街には城壁がなかった。

 

城を護るための堀はあるが、都市全体を護る城壁はなかった。

 

なのでヨーロッパの都市のように、城壁の跡地を道路にするわけにはいかなかった。

 

しかし都心部から外部に通じる「街道」はいくつもあって、それは道路になったから、東京に入ってくる自動車は、みんな都心部に乗り入れて、そこからまた別の方向に向かうという形になった。

 

その結果、常に都心部が渋滞するということになり、関東大震災の復興計画でようやく、環状道路を造って都心部の渋滞を解消しようという事になったワケだ。

 

しかし道路用地を殆ど確保しておらず、欧米によくある8車線とか10車線の道路が造れず、細い環状線がたくさん造られることになった。

 

都道環状線 路線地図

都道環状線 路線地図


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